久々に、銀のフレームのお話をじっくりする機会が1日のうちで複数回ありましたので、その周辺のことを書こうと思いました。
似合う似合わない、カッコいいカッコよく無い、カワイイかわいく無い、、ある程度、他者や社会との距離感を掴みながら判断を下すところから外れて、美しいと感じたそのままに着ける。常に身につけていたいというそれだけを感じている状態、それこそ各人の感性が剥き出しになっている瞬間でしょう。まず、それを体験して貰いたいなという思いがありました。
情報社会ということは、おおよそ色んなことが言語化されるということでありまして、つまりは理屈メインの世の中になっているということだと考えています。スイスイ物事が進むので、住みよいのでしょうし、今もその合理性を享受して生活しておりますので、それを悪とは申しません。ただ、ちょっとだけそこから外れてみるという豊かさの余地が、まだあるのではないでしょうか?むしろあって欲しいという願望が混ざっています。感性とか言葉に出来ない良さという余地です。むしろ、その豊かさの方が人生において強烈に作用するのだと感じています。
自分だけの実用性という尺度においては、コスパは悪いです。ただ、自分を越えて受け渡される物であればどうでしょうか。また実用性のみならず、上述のような心への作用やその連鎖がありますから、そこまでの悪では無いと思っております。圧倒されるほど美しければ、受け渡すという連鎖はきっと成されるでしょう。
物と一緒に色んな要素が伝われば、それがメガネを介して行われれば良いなという思いがあって、銀のメガネは用意しております。