ドタバタの最後に
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

21.07.18

計画自体は今年の2月頭から動いていました。その時点で、「6月までライン組んじゃっているので、それ以降です」と返事がありまして、待ちに待ってようやく仕上がりました。鼻パッド用の金無垢の板材の入荷が遅れて、7月となりました。

ブリッジのみ、金無垢にしてみました。全部金無垢は、ロレックス買うわーって金額になるので、今じゃないなと思いまして。矛盾しますが、そうは言っても値段ばかり気にしていたらいつまでたっても金無垢を使用した眼鏡なんて作れないなと思い、勢いでブリッジのみですが金無垢のコンビを作りました。デイトジャストっぽくて良いです。

発端は、金無垢の鼻パッドをサンプラチナのフレーム用に作ろうと思い、見積もりをとったことです。グラム7,000円の時代ですが、前回と同じ値段で見積もりが上がってきました。そうであれば、例えばコロナが落ち着いて金価格も落ち着いて5,000円台に戻ったとしても、商品価格を連動して変化させなくてもよく、ある程度変化のない価格を提示し続けてお客さんに長い目でじっくり安心して悩んでもらうことが出来ます。とても高い値段なので、そこの安定感があるのは最大の決め手でしたね。多分、メーカーさんの出血によって成立しているのかもしれませんが…。そしてブリッジも見積もり出して頂き、値段も「あっ、、ふぅ〜ん」って感じなので作りました。

金無垢のブリッジを作るに際して、新たに図面を描いて頂きました。その際、サンプラチナのツーポで散々試したこと、お客さんの反応、フィッティングの際にどこをどう動かしたかをお伝えして、一層眼鏡としての安定感を高めることに注力しました。具体的には、クリングスの形状とロー付けの仕方を変えて、箱の初期位置が鼻骨底部の良い感じのところに来るようにして、その状態で箱の位置と腕の位置のバランス、またそれによって決定されるレンズの前傾角のバランスも取り直してもらいました。

また、レンズの形を1型に決めております。サンプラチナのツーポで一番評判が良かった形で決定しました。それに決めきっちゃうことで、レンズのキャッチが非常に綺麗に隙間なく取り付けられるようになりました。

鼻パッドは、新規で型から起こして頂けました。

眼鏡業界にいれば、金無垢の眼鏡が大体これくらいの値段ってのが分かるんでしょうけど。今まで高級時計や高級靴や高級スーツとか、そういう所謂「オトコの上りの一品」に眼鏡があがってこなかったせいで、いまいち値段が不透明だったりします。そこも気になっていた部分でして、同一メーカーのほぼほぼ同一構造で、またそのうちブログ書きますがこのくらいの金の使用量でこんなもんの値段(および上がり幅)ですということがクリアになれば良いかなと思いまして、そんなことも念頭にあって作りました。

色々あり過ぎて、ようやく今じっくりと完成品を眺めております。想像以上にツートンがカッコ良かったです。

すみません、体調不良でやっぱり休みます
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21.07.17

予約入れてくれた方ごめんなさい。やっぱり休みます。連日のゴタゴタと、上の子がRSウィルスにかかっており、全部が終わって気が抜けた瞬間にうつりました。咳出るので、こういう時代ですし休みます。

土曜日は15時に開けます
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21.07.16

土曜日は12時から検眼しています。オープンは15時にします。

経年変化
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

21.07.15

銀無垢のカットリム、使用して半年程経過しましたので、ここに載せておきます。

確か年始から使い始めて、5月まではさほど変化はなかったです。梅雨入り後、湿気のおかげで変化に加速がつきました。リム周りは黒ずんできています。トップ画像に鼻パッドの様子を載せました。肌に接触し続ける面だけは、綺麗に銀色のままです。リムもそうですが陰影のおかげで重厚感が一層高まっている感じがします。

最近こればっかり掛けています。経年変化したときのカッコ良さが、一山の眼鏡たちよりも強く付加されていく気がします。インディアンジュエリーっぽい雰囲気です。

まだまだ変化が楽しみなので、しばらくは使い続けてみます。

明日の水曜日も休み
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21.07.13

こんなに色々重なるものかという感じですが、身内の不幸の為あすは急遽休みます。

月曜日と火曜日休みます
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21.07.11

明日と明後日休みます。そう言えばですがこういう時代なので、立会い不可でまだ見てないです。火曜日にようやくです。

まず7月末まで実施
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21.07.09

第二子誕生にともない、平日の営業時間を16時までにします。

どういう表現が忘れましたがアクティブシニア的な、65歳過ぎてもイキイキ働きましょうねという概念があるんですけど、それと、保育だれが迎えにいくの?問題が対立しますね。その状況に立って、そう言えばとようやく気づきました。

こういう問題に直面した時は、じぃじとばぁばが仕事を抑えて保育園のお迎えをしてもらうという解決が一般的なのかもしれません。ですが、一番暇そうな人間がその役を担うのが令和時代の正義かもしれませんねということで考えたところ、「あ、そしたら俺が一番暇じゃん…俺が担当じゃん…。」という結果になりました。頑張れブルバキ。

ということで、とりあえずですが7月の平日は、保育園のお迎えがあるので16時まで営業です。土日は変更なく18時まで営業します。

明日は休みです
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21.07.05

明日火曜日は、定例の眼科さん出張です。店は休みます。

AIが勧めてくれました
雑記

21.07.04

前作の『数学する身体』をamazonで買ったどうか忘れましたが、多分ジュンク堂か高島屋で店頭で買った気もしますが、新作をamazonで買ってみました。注文履歴や閲覧履歴から算出される予想の精度の高さに驚かされます。

歴史を紐解きながら、計算から人間を取り去ってどんどん純粋にする過程が学べます。結果、やはり身体性が要るよねって話に戻るところはなるほど!と、数学の演奏会の時と同じような感動がジワッと味わえます。そしてルンバが欲しくなります。

ちなみにこれの前に読んだ本『超ポリコレ宣言』というのをここで挟みます。鼎談をまとめた本でして、鼎談の一部分を抜き出す行為はまさに観測によって情報が壊れてしまうみたいなデリケートな問題もありますが、とりあえず気にせずにこの鼎談からも身体性に言及している部分を引用します。

「p.235 (千葉) 「私の身体が失われた」と、私個人の問題だと思っているけれど、実はもっとマクロな、時代の問題として、「身体が失われた時代」の中に自分が投げ出されている、ということを訴えているのかもしれませんね。」

「p.250 (千葉) 「子供を大切にしろ」と言っているのは、イコール「私を大切にしてほしい」ということなのであり、「私」というのが、まるで生まれたての子供のような状況に置かれているんじゃないかと思うんです。小さな子供が周りの刺激を一身に受けているのと同じような状況に、自分の身体が置かれている。…とにかく刺激に圧倒されるということにおいて、みんなが「私も同じ=身体の喪失※」というようになっている。(※のイコール以降は、勝手に補足しました)」

ここでいう刺激というのは、ネットを指していました。何か大きなものを絶対とし、個を規定していくことの難しさや破綻というものは、この前の「時間は存在するのか」という本の内容にも通じます。全員に均一で等質な時間や空間が初めから与えられているという前提がどうなんだ?という話です。

『計算する生命』では、生物学の新しい世界の捉え方を紹介しながら(それは、『暇と退屈の倫理学』で紹介されたユクスキュルの“環世界”と違うのか、そこまでは私には分かりませんが、近いものを感じます)自律的な生命と、自動的な計算との間がまだまだ存在することを示しつつ、今度は生命が計算に近づきつつある昨今に警鐘を鳴らしています。ここでも身体性の喪失への危惧が垣間見えます。

ということで計算と名前につく以上、バッチリ数学の内容の本ですが、数学に興味なくてもこの本自体は現代と悩みを共有していそうですし(例えば身体性)、きっと面白いです。面白かったので、AIに勧められた私が勧めてみました。

明日は休みにします
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21.07.01

色々ありまして、明日7/2は休みにします。16時までに店に到着出来るかどうかという感じなので。

また土日によろしくお願いします。

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