シンプルなもの、ベーシックなものを買うべきか、それともデザインが盛り込まれたものを買うべきか?みたいな相談をたまにうけます。そもそも、シンプルであることとベーシックであることは同値なのか?シンプルとは何か、ベーシックとは何か。デザインとは何を指しているのか等々、どちらにするか云々の前段階で、すでに考え出したらキリがないです。その時は、そういう相談ではない事を瞬時に察して、とりあえず迷ったら素朴な方か派手な方かどっちにします?的な質問に回答を致しました。迷ったら楽しい方です。
よく、デザインが激しい物に対して言われる「デザインが入ったものはすぐ飽きる」について、これってどうなんでしょうね。本当に特異的なものであれば、いつだって際立っていますし、いつだって良いなあと感じる様な気もしてきます。飽きるのではなく、その尖りが嫌いにはなりそうですが…。
驚くべきことに、平成レトロという言葉が生まれたそうです。まだ実際には、店頭で飾ってあるファービーに対して「平成レトロ」と言われたことがないので巷での浸透度は謎ですが、その表現には納得です。ファッションの世界では、90年代が焼き増しされ始めました。ロゴ物やハイテクスニーカーの潮流が力強く続いております。そういう私も、まだちゃんとエアマックス95を履いております。
まだまだ眼鏡業界では店も私も若造ですが、そういえば30代に入っています。30代と20代の違いは、今のところほとんど認識しておりませんが、おそらく懐かしく感じる機会の多さだと思います。それに関しては圧倒的に増えました。エアマックスもそんな感じで買っていますし、今は、あの頃のPEZをもう一度という気分でして、捨てたことへの後悔の最中です。
それらの懐かしさは何で生じるのだろうかと考えていましたが、おそらくそれこそ見ることに関係があるのかもしれません。新しい物を見れば見るほど、どんどん過去のものになっていくそれらが、よく見え始めてくることがあります。新しい物を見る行為が、過去の物に新鮮さを吹き込むのは何故なのでしょうか。例え、一時的に尖りが食い込み始めて嫌になっても、新しい物を見続けることで、尖りと上手く間合いがとれます。そうすると尖りが刺さらずに、ただの鋭さとして見返すことが出来るようになりますから、また良さとして認識が出来ます。デザインとの距離が関係していそうです。
すぐ飽きても、多分それはそれで良くて、また良いなと思えるように寝かせといたら良いと思います。