ちょうどいいくらいの遠くへ行きたい
雑記

23.07.07

豊田市民芸館に行きました。

名鉄だと、名古屋から向かう場合は知立で乗り換えです。知立駅自体も知立駅周辺もグングン綺麗になっていますけど、しばらく乗らないうちに三河線の線路沿いも綺麗な建物増えた気がしました。20年ってすごいですね。

駅を降りると、周辺案内があります。

 

展示ももちろんですけど、庭園、建物、什器等の目に入るどれもが美しくて良いですよ。平日昼前で、私含めて2組くらいしかいなかったので、くつろぎ放題でした。

 

パンフレットの常滑焼の箇所なんですけど、それであればその土管こそが民芸ということでは?と思ったりします。国民の生活水準をぐんと引き上げる手仕事なわけですから。

始まりにして至高だったり、正法像法末法に近い歴史観でどんどん悪くなっていっちゃうみたいな見方もありますよね。物理でいうところのエントロピー増大の法則とでも言いましょうか。純粋な物がどんどん混ざっちゃう、勝手には混ざるけど逆は起こらない。勝手には純粋に戻らないみたいな話に近いと思っています。

ただ、製品の場合の混ざるとは創意工夫であって、何か外からの要求や内から芽生えた問題意識に対しての改善・改良を含むわけですから、改悪があるにせよ何かしらの改良が必ず含まれていますよね。

敷地内になんとかいう建物がありまして、まさにこれなんかは日本家屋からの混ざり具合が最高だと思いました。混ざることでしか生まれない良さもありますよね。

 

全く話は変わりますが、私は冷やし中華原理主義だったりします。しました。

名古屋は冷やし中華にマヨネーズをかけるらしいですが、私はかけません。さっきあれほど語っといてなんですが、冷やし中華はアレが始まりにして至高だと思っていました。ゴマだれも不可です。

ブルバキの店の近くに、歴史を刻めという美味しいラーメン屋さんがあるんですよね。定休といえども木曜日に、店で加工をしたりお金のあれこれ事務仕事をすることが多々ありますが、そのときに今年度に入ってからなんですけど、大体寄ります。

昨日は民芸館に行ったあとに、周辺に飲食店もコンビニもないものですからどうしようと悩んだ挙句に店まで戻り、歴史を刻みに行きました。たまたま日替わりオンリーの日で、冷やし中華一択でした。

それこそ冷やし中華は初版初刷りしか認めんみたいな人間でしたから、注文もためらいましたし、丼が到着したタイミングもまだ腕を組んで「娘はおまえにやらん」の一点張り状態でしたけど、食べてみたら今までのどれよりも好きでした。感動しました。

ちょうど民芸館に行ったあとでしたし、あれこれ考えていたタイミングというのもあって、起源と本質の差について巡らせていました。つまり、私が意固地になっていたのは、冷やし中華の起源と本質を重ね合わせた上で、あれしか認めん!ってなっていたわけです。起源と認識しているものも、本当は起源では無いかもしれませんけど。とりあえずあのさっぱりと酸っぱい冷やし中華は起源であって、冷やし中華の本質を全て含むわけでは無いかもしれないという発見がありました。

さまざまな物に対して、実際には本質と起源が完全にズレていることは無さそうです。隙間が存在する程度なんだと思います。ですから始まりにして至高なことが確かに多いですし、自分もそうですけどそのように思いやすいですよね。隙間程度しかないことは開発側からすれば、新しい何かが生みにくいことの原因のひとつでしょうね。でもちゃんと、その隙間からヤバイものが現代でも出てきますね。

 

2023/07/04(火)は休みです。
営業案内

23.07.03

明日は月例の眼科さん出張のため、店は休みます。

 

新しいパズルが増えました。ついアマゾンのサジェストで、置いとくだけでも綺麗なパズルを見かけると買ってしまいます。

ごちゃごちゃやっていると、まぐれで立方体に戻せます。

最近読んだ本
雑記

23.07.01

もともと、同じ本を何度も読むタイプの人間だったんですけど、昨今はその傾向が強まっていまして、新しい本を読んでいないですね。これは3年ぶりくらいに3度目か4度目くらい。どんどん新しい物に挑戦しなくなったという観点から、歯止めの効かないおじさん化とも捉えられますし、どうなんでしょうね。

ある程度寝かせてから読み返すと、新しい発見があるというのも何度も読むことの良さです。こんなこと書いてあったかな?的な発見です。加えて、ライフステージが変わったタイミングであれこれ読み返すと、発見どころか本の評価とか印象が180度変わっていることもありまして、それが面白いです。

新しい本を挑戦しづらくなった、腰が重くなってきたというのも一理ありますけど、いまは“あのときと、読後の感想が違う”という自分の変化を楽しんでおります。

 

この本に関しては、初めが面白くて終盤は何だか…という感想でしたけど、今回読んでみたら結構終盤にかけてバイブス上げていくタイプの本でした。

引用部分の岡潔は、小林秀雄でいうところの【直覚と分析】に通じますよね。本文でも「小林:お説の通りだと思います。」と書いてあります。

直覚から分析が始まりますが、分析から直覚には至らないというアレです。なぜ銀無垢でメガネを作るのか?究極は分析では知り得ないですよね。直覚を例えば感動という語に置き換えれば、好きだからそうしました、それしか無いわけです。銀無垢で作る理由が100個あったとしても、なぜ銀無垢なのか?この理由は、はっきりと捉えられないわけです。美しいと感動しちゃったからつい出来心で、そんな表現しか許されないわけです。それはあなたの感想ですよね?ということでスタートにエビデンスが無いということになりますけど、だからダメでは無くてそれもまた良いということでしょう。

この『人間の建設』の前に読み返した『中動態の世界』と『暇と退屈の倫理学』と『はじめてのスピノザ』が重なったお陰で、結末がスゲーって思えたのかもしれません。この3つは【自由意志の否定】が根底にありますけど、それももっと理解出来た気分です。

もし自由意志みたいなものを感じたときは、むしろ感じてしまったから個人店を営むに至っているんですけど、それは過去の切断であり、つまり分析の中断・停止であって、今回の『人間の建設』でいうところの「知るためには捨てよ」ということに繋がると感じました。

そこまで書いたところで、それで特に何も無いんですけどね。殊にメガネに関して、ますます自分の感想くらいしか書くことが無いな、店頭では感想を述べるしか無いなどうしようかなと悩んでいます。

復刻も出ていますよね
ヴィンテージのメガネ

23.06.27

バディ・ホリーな感じですね。この感じのフレームでイタリア製を初めて見ました。

柄は塗装っぽいです。その軽い仕上がりも良いです。スリードットが崩れて正三角形を成していないんですけど、それもまた良いです。しっかり出来ているので、特に問題はありません。ラフな表現の最大値という感じです。

なんかめっちゃ良いです。生地や作りから受け取れる今っぽいライトさと、外観がもたらすフィフティーズのどっしり感のバランスが、たまたま現代の目線で見ると丁度良いのかなと思います。

 

6月25日(日)は休みます
営業案内

23.06.24

明日は休みます。

金曜日は休みます
営業案内

23.06.23

すみません、諸事情で開けられなかったです。

土曜日は開きます!

金曜日は13時ごろ開けます
営業案内

23.06.22

6月23日(金)、午前中に病院行きます。13時ごろには開けられると思います。

今さら舞いあがれ
雑記

23.06.19

朝ドラの「舞いあがれ」で、主人公のお父ちゃんが工場の現状を料理でたとえて

「レシピと調理器具と料理人が揃っている」

みたいなセリフがありました。お父ちゃんが無くなる直前に、主人公と工場の中で会話するシーンです。だから工場も機械もひとも、そっくり残したいんやと。

最高に分かりやすい例えで、以来そのたとえを使わせてもらっています。実際の鯖江の現状や、銀無垢フレームを作って下さっているメーカーさんの現状はよく知りません。詮索するのもアレですし。展示会等々で会っても、物の話のみですね。大人な経済の話とか、そういえばしないですね。

その料理の例えがありまして、全部そうなんですけど特に銀無垢のサーモントは、本当にいま実現出来て良かったなと、ドラマ見ながらそっちで感動していました。それをさっきのブログを書きながら思い出しました。

調理器具や料理人に色々あったとしても、レシピさえあれば、レシピが失くなっても出来たことを証明する物が存在していれば、朽ちない素材でそこに在ってくれれば、何とか出来る希望は残るかなと。人間は我思うゆえに我があるのに、物は思わなくてもただそこにジッと在りますからね。やっぱり物はヤバいですね。

僕が銀無垢で再現する理由は大体100個くらいあって
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

23.06.19

上がアメリカの1920年ごろの。下が現行の銀無垢フレーム。手彫り済み。銀の燻が相まって、下の方がヴィンテージに見えるかもです。そうだと嬉しいです。

上がヴィンテージ、下がサンプラチナによる再現です。ツーポに関しては、強度の問題で銀無垢を諦めています。金張のアップグレードということで、金無垢を少量作りました。

ブリッジのディテールは他のモデルを参考にしておりますが、ざっくり全体の雰囲気の再現としましては、ここを目指していました。アメリカの1930年代のフルビュー、ニューモント型です。

これも上がヴィンテージで下が現行の銀無垢による再現です。上はアメリカの1960年代のアルミのサーモントです。

なんとなく、ここまでのブルバキと銀無垢のメガネの歩みを要約しておこうと思いまして。色々な意味を込めまくっていますけど、あまり書いてこなかった狙いとしましては、アメリカを一つひとつ銀無垢という素材で復刻・再現するというのが初めからありました。

なぜ「アメリカ」を「銀無垢」で、この二つが肝心ですよね。そしてアメリカと言いつつアメリカの「60年代以前」という限定つきなので、そこですね。

 

おそらく色々な物が60年代で分かれるように、メガネも60年代で分かれるとする見方があります。手元に64年のAOのカタログがありますが、特にメタルフレームに関してはまだフルビュー(SAMPSON)が掲載されているくらいですから、60年代までは素朴でまさにロングライフデザインで、そこから先は消費的という見方が出来るかもしれません。カタログでは天地の浅いものが新作っぽく掲載がありますけど、天地深めのフレームも載っています。サーモントでいえば、マルコムモデルも載っています。

ちなみに67年のフランスだったと思いますがプラスチックの度付きが出ます。他にもガラスのレンズの径がデカく出来たりと、レンズも70年代周辺で革新があります。フレームに対してもオプチルという素材の革新がありまして、さまざまな要因から70年代のメガネはおかげで賑やかになります。

話を戻しまして、メガネも何となくデザインの鋳型みたいなものは60年代で決まったのかなと感じています。本当に普遍的な物ほど個性的なんだ、という岡本太郎の言葉を思い出すとなんだかブログの軸がブレてきそうですけど。でもやっぱり70年代以降は、デザインも勢いも激しくて、例えばお客さんの反応としましては「そういう物は仕事にかけられないなあ…」とかあります。その方の人生のなかで普遍的に掛けられないという事態が発生しがちです。そんなわけで、ブルバキもその辺はヴィンテージの存在に頼っています。70年代以降は、どこの国の何がいまのような意味での鋳型となり得るのか判断することが難しいです。

 

なぜ60年代までの、特にアメリカを一つひとつ再現するのかということに対しては、服のアイビーの概念をそのまま転用しました。日本人がアメカジを作ったという話です。本も出ていますね。ロングライフデザイン且つ、日本人が日本を表現する為に適した、前例のある方法としてアメリカを用いました。自分の服がティーシャツジーパンスニーカーのアメカジであることは、もちろんですけどね。

そして、2010年ごろからメガネの流行が段々とアメリカぽくなり、そしてヴィンテージに、、、という流れの中でブルバキが出来て、銀無垢のフレームを色々な方に見てもらえているのかなと思います。もしいまが2000年代の頭だったら、もっとマニア扱いだったか、レトロですねだけで終わっていたかもしれません。

なぜ銀無垢で?と聞かれますと、もちろん一番は好きだからなんですけど、自明な理由はさておき、まあでも文章が長くなったのでまた今度にしておきます。あれこれ理由はありますが、さっきのアメリカの流れに即した理由となりますと、その辺はメタルサーモントが出来たときに、チラッと書いた記憶があります。

しょうがないことではありますが、メガネに対しての眼差しがTシャツ・ロンTとほぼ同じという現実があります。悲しいですけど。ヘイローの元に意匠を乗せることで十分なわけです。そこまで解っていても諦めきれなくて、メガネも銀も好きなので、だから作るしか無かったんですよね。

18と25日は休みます
営業案内

23.06.16

二連発、日曜日休みます。6月18日と6月25日です。今週も来週も土曜日は営業します。

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