水曜日は休み
営業案内

20.11.17

明日は休みです。イレギュラーで、外商の予定です。

今年も登場
雑記

20.11.16

多分、過去2回はこのブログで紹介しているはずです。前は、表紙が違ったかも。良い本は何度も読みますし、何度もこれに書きます。他人に差し上げて一度は手放しましたが、結局自分が読み返したくなるので古本で買いました。一回は新品で買っているので許してください。

少なくとも1年以上は、前回読み終えてから期間があいております。そしていま読み終えての感想は、初めて読んだかのように面白いです。それは、内容が頭からすっ飛んでいたからというわけでも無いです。

大学の専攻は数学でしたから、今回読むまでは、実無限派として読んでいました。ですからこの本の中でのやり取りを、真剣に吟味しようとしていなかったんだなと、過去2回は読んだ気になっていただけだったなと、新たに気付けました。そしていまわたしは、やや可能無限派に属しているんでしょうね。片足は確実に突っ込んでいます。それが成長にリンクしているのかどうかは分かりません。現代科学は実無限派ですから、その観点からは退化かもしれません。

どっちにしても、この本の中でのやり取りが、自分に向けられているように(この本としては、私も3人目のゼミ生になったかのように)切実に響いたということは、自分が実無限派から可能無限派に移行しつつあることは間違いないです。カッコつけてあれこれ言ってみましたが、要はうんうんと、何度も読んでいてなりましたよと、ちゃんと染み込みましたよという話です。

例えばですね、私でしたら仕事的に眼鏡の美しさということになるんですけど、その美しさに対しての捉え方とかアプローチの仕方とか追求の仕方とか、それがまさに実無限的から可能無限的にと言いますか、そんな風に、店を続けるなかで移行をしていることに気づきました。特に読んでほほぅ!と手を打っちゃいそうな部分、移行を感じた円周率πについて書かれた箇所を引用します。

p.34「有限主義というのがあります。これは有限のところで頭打ちにしてしまって、可能性としての無限も考えないんですね。可能無限の立場は有限主義とは異なります。天井知らずの有限主義と言ってもよいかもしれませんが、あまりうまい言い方とも思えません。展開の果てしなき可能性、それこそが無限だと考えるのです」

「…πという無限小数のすべての位が実は確定しており、ただ人間がそれを有限の位までしか知らないだけだと考えるのは、まさに無限を実体としてそこにあるものとみなす態度にほかなりません」

p.229「無限は完成を拒んでいます。そこからはみ出たものを捉えようとし、捉えたと思ったときには新たなものがはみ出ていく。このたえざる歩みこそが、人間が無限を生きるということにほかなりません。そもそも完結した全体としての完全なんていうものがないのですから、『不完全』ということも無意味でしょう。例えばπの小数展開に対して人間が為した有限の展開が、完結した無限小数としてのπの不完全な認識なのではなく、際限のない未完の作業であるように、それはむしろ、永遠の未完成と言うべきなのです」

ちなみにp.229は、この本の主要テーマであるゲーデルの不完全性定理のざっくり証明が終わった後のアフタートークです。この“そもそも完結した全体としての完全なんてものがないのですから、『不完全』ということも無意味でしょう”という部分の味わい深さは格別だと思います。

そして、この引用部分の“無限”を、さっきの美しさみたいな単語に置き換えてみたり、各々で自由に理想とかザックリと、そして漠然とした長大なもの・こと等に置き換えますと、なんだかそんな気がしてしまいませんか。私は、そんな気がしてきちゃいました。

それで、そういう風に認識が変わったとしまして、明日からの提供される眼鏡がどう変わるんだと言われてしまいますと、おそらく大きくは変わらないんでしょうけどね。いつも通りのらりくらりで、ブルバキが急に明日から流行るとかも無いんでしょうけどね。ただ、そういう心持ちで店を続けるのだなと、続けるとはそういう意味がこもるのかと、ちょっと教えて頂けた気分になりました。なので、また懲りずに勧めておきます。

届きました
無垢のメガネ(925silver,サンプラチナ,木)

20.11.14

一般供給ありましたね。銀無垢のカットリムです。上代¥237,000(税抜)でした。ちゅどーん!もちろん仕入れも高いので、爆死です。

この幅で、まあまあな重量感なので、これ以上リム幅を設けると、流石に用の美から離れ過ぎるという感じなんでしょう。フロントヘビーになり過ぎちゃうはずです。

レンズの形状も、リム幅の緩急のつけ方も、メーカーさんのオリジナルで最高でした。デザイン関係の仕事をされているお客さんに教えてもらったことがありまして、本当にその通りだなと思ったことがあります。図面が天才。

磨き込んだ艶が、ツヤツヤ過ぎてもはやヌルヌルに見えるのが、写真でも伝わると思います。

小売店オリジナルの在り方というのを、最近よく考えます。何を要求しうるのか、そもそも何が要求として妥当なのか。よく考えた上でメーカーさんに投げて、素材のもたらす美と合わせながら、どういう意匠に変換されるのか最後はお楽しみというのが理想で、本当にそのプロセス全体がお楽しみになるためには、要求そのものの自己検閲と自主規制が大事なんだなと改めて感じております。そうしますと、銀無垢なんかは特に、初めの塊の一山たちが今でも個人的なピークですから、あとは何が眼鏡屋視点で要求出来るんだっけ?みたいな感じになっています。

そんなこんなで、いまようやく基本に還ることが出来た気がしておりまして、ポッと目の前に徐に出されたものを、見るだけ、それにもう一度集中できるようになりました。ブルバキの特注がメーカーさんの在庫になったりですとか、そもそもオリジナルとかいう概念が普遍性と喧嘩しているのもありまして、オリジナルとか俺だけの!ということに興味が年々薄れてきているというのも重なり、メーカーさんの在庫も、銀無垢に関しても仕入れてみています。

素材の特性を熟知し、眼鏡の製作に携わっていて方々に理解がある人があれこれのバランスをとって仕上がったものが、とても美しいなあと、心の奥で感じられるようになりました。

70年代のフレームの銀無垢による上位互換みたいなものが、ようやく登場です。

ブリッジの厚みです。カットリムのボリュームに合わせて、ややヘビーです。

プレスの模様が入っています。リムの磨き込みが凄すぎてピカピカですから、手彫りのキラキラを加えなくてもいい気がしてきました。また、プレス模様の無いプレーンも良いなと思いますし、バリエーションでそれもあると嬉しいんですけど、ごめんなさい無いです。ただ、真っさらな面があると、ピカピカ過ぎますし、カットリムで面が増えて指紋が目立つポイントが増えますから、ピカピカと指紋を分かりにくくするという二つの点を解消する為に、これに関してはプレス模様が入ることが、より望ましいなと思って仕入れています。基本は手彫り派ですけどね。これは例外です。

横が美しいです。カットのピークがちゃんと合わさっています。

土曜日は受け取りのみ
営業案内

20.11.13

昼過ぎに健康診断になってしまったので、15時くらいから店に居ます。ですが、来店予告を頂いているので、受け取りのみ可にします。

日曜日は通常通りです。

火曜は休み
目のことレンズのこと

20.11.09

定例の、眼科さんへの出張です。明日の火曜は休みです。

ディオール
ヴィンテージのメガネ

20.11.04

とにかくフレームが大きくて、カーブもいっそのこと指定した方が仕上がりが綺麗ですからハイカーブレンズを選択、径大きめで更に偏心しまして何とかレンズが足りました。それは、度数とPD次第でもあるんですけどね。

背景を白にしてもやや分かりにくいですが、50/20のダブルグラデーションです。

金曜日は休みです
営業案内

20.11.04

金曜日は休みです。次の土日は通常通りです。

金曜日は休みです
営業案内

20.10.21

次の金曜日は、完全なる休みです。受け取り不可ですごめんなさい。

頂き物
雑記

20.10.21

全集頂いたのに、読めていませんでした。本棚のコク出し要因になっていました。

ようやく手が空いたので、一番気になった「物と美」から。小林秀雄の直覚と分析に近い、ほぼ同じかな、そういう話です。常に直覚から始めなさいよ、と。分析からは直覚に至りませんよ、と。

この本では「もの」と「こと」と表現していましたが、この表現がそのまんま現代にカッチリ当てはまりますし、そのおかげもあって読みやすいです。読みやすいというのは字面を追いやすいという意味でして、本当に理解し得ているのかは私も分からないです。そういう意味では難しいです。

確かに好きという言葉が指すものが外からの観察か、内に入っての戯れか、それはいつも気にしています。

シュガー&シュガー
雑記

20.10.21

先々週くらいから見始めました。サカナクションの音楽実験番組です。

どうかなーっと思っていましたが、今週はとくに面白かったです。確か、「音楽とファッションの乖離性に関する考察」とか何とかいうテーマで、要はこのファッションの見た目の人はこのアーティスト好きだろうと、スナップ写真を基に、勝手に予想しあうことを2人で対局形式で行うわけです。それを“シュガシュガ将棋”と呼んで興じており、視聴者もテレビ越しに予想しながら参加して、わかるわ〜好きそうだわ〜とか共感する流れです。ややシニカルでした。乖離という表現であれば乖離性は乏しく、むしろ親和性であれば多分に感じると言いたいところなんでしょうね。

これが強迫観念になると、具合が悪いです。そして書いている今、自分もそれに屈してしまっていたことに気づいてしまったので、具合が悪い例として、ここで正直に書いておこうと思います。

公称の、初めて買ったCDはスーパーカーのハイビジョンです。ウソです。本当は違います。カッコよく思われたくて、つい出来心で…。本当は、B’zのめっちゃ金ピカのベスト版です。当時、日本一だったかとても売れていて、そんな売れているのなら、どれどれ一つでも…というので、B’zをそれまで全く知らなかったのに、何故か買いました。何ならその次の銀ピカ版も持っています。時期としては、スーパーカーが中2か中3で、B’zのベスト盤は小学校高学年のときのはずです。そんな記憶がふんわり蘇ってきました。色々と失礼な態度でした。すみません。カッコいいに決まってます。

書けば書くほど鮮明に。“LADY NAVIGATION”からの“太陽のKomachi Angel”が最高に好きでした。おそらく、まだカセットテープの時代、MDの到来前です。車にCDが付いていなくて、カセットテープに入れて車での家族旅行のときに、よく聴いていたはずです。そういう幸せな像とくっついて離れない音楽は、自分にとって一番であることは間違いはずです。最近、店でどんな曲を流そうか迷い始めて、ラジオか無音で営業していましたが、ようやくあの空間に何を流すべきか気づけました。

店に無いとすると、家にも無いはずで実家に置き去りです。カッコつけてて本当にカッコ悪いですね。そういうことを、幸せな記憶の堆積を無碍にしてはいかんですね。次に実家に帰ったときは回収して、店で流します。

_170831bk

pageTopLink