925シルバーのカットリムですが、レンズ変えてみました。いまいちアクリル系のデモレンズでは、レンズを含めた系の輝き具合が掴みにくかったので。
去年からマイブーム続いています。フェアマロンです。赤茶色です。
20.12.22
925シルバーのカットリムですが、レンズ変えてみました。いまいちアクリル系のデモレンズでは、レンズを含めた系の輝き具合が掴みにくかったので。
去年からマイブーム続いています。フェアマロンです。赤茶色です。
20.12.18
土曜日は、開店一発目で検眼しています。
15時くらいから開けます。
20.12.15


一山のラウンド38ミリです。定番の彫金例も作っておきました。
20.12.15
菱松模様が、直線を多用したものですから、これは!!と思って見本のダンヒルのフレームのようにしてみました。ブリッジの横真っ直ぐの部分だけ菱松彫金です。私は、柳からすれば病的で健やかでない物が好きな傾向にあると言いますか、もはや取り憑かれている故、隙間は全部埋めたくなります。でも、そんな私でも分かります。これが一番カッコイイやつやん。程よいやん。ブルバキ君も、我慢すれば出来るやん。

側面はこんな感じです。光を当てたときの煌き方が、今までの唐草やボシュロムのダイヤ柄とはまた違って良いです。鱗みたいにヌメッとしています。他の柄では生じない独特な煌きで、非常に美しいです。

光が当たらないと柄がよく分かるようになります。
20.12.15



この前の、外に出て依頼を承ったやつです。親戚の知り合いのなんやかんやの色々あって、つまりは私にとっては他人なんだけどなぁという心持ちで、特別に受けました。
お受けした理由は他にもありまして、それが上の写真の通りです。使っていたべっ甲のフレームをもう一度使いたいなぁという話でして、詳しく伺うと他所で断られたということでしたから、眼鏡界の近藤産興である私、ブルバキの出番となりました。貸さないけど、何でもやります精神です。
行く前は、散斑のオール甲かななんて思っていたら、まさかのフロントk18の腕が白甲だったので腰抜かしました。やっぱり、ちゃんと買える人が日本にはいるんだなと、こんなに持ち物の差はあれど私たちはみな同じ大地を踏みしめているんだなと、なんだかしみじみしましたね。それなりのお店で一旦診てもらい、枠入れ不可と言われたらしいですが、基本はただのナイロールフレームですから、使用済みのオール甲の枠入れよりレンズ交換の作業は楽です。
20年以上前でうん十万円、今だとどうですかね3桁かもしれませんね。それを一回きりの消耗品にしてはいかんなと、私で食い止めれて良かったなと思います。おそらく、似たようなケースで食い止まらないことも多いのでしょう。そこが時計と眼鏡を分けた差かなと感じました。



そういえば、無垢パッドのときに引き合いに出していた、芯金がk18のパッドとはコレです。これは見た目には殆ど関与しませんから、エチケットみたいな感じです。
20.12.11
明日は休みます。また日曜日にお願い致します。
20.12.07
月一定例の眼科さん出張です。店にも居ません。また水曜日以降に。
20.12.06
いつも唐草ばっかり彫っていましたが、菱松模様も彫ってみました。アスタリスクみたいな形かと思っていましたが、三角形の外枠に囲まれて、放射状に松の葉がピッピと伸びております。私もこれまでしっかり見れていなかったことを反省です。これもとても良いです。幾何学模様で冷たい雰囲気かと思いきや、植物の有機的で健やかな雰囲気を纏っており抜群でした。民藝全集を読んですぐなので、やたらと物を褒めるときに健やかと言いたい気分です。
今までの柄の確認不足および在庫で持たなかった言い訳としましては、メーカーのサンプルではヒルトンクラシックみたいな、マンレー山に彫ってあるものしか見たこと無かったので、ちゃんとイメージ出来ていなかった為としておきます。
テンプルの広がった部分、広い面で松のピッピの伸びが鮮明な部分が特に良かったです。非常に健やかでした。切削面の鋭さ、煌めきの落ち着いた感じがたまらんです。

20.12.06
ようやく、決着が自分なりにつきまして、わからないことが好きというのは有限主義なんだなと。そうです、以前のブログ書いてからも、延々と考え続けていますよ。
分からないことが好きというのは、「この文は間違っている」に近いなと。つまり、分からないことが好きというのは「分からないことが好きということが分かっている・明瞭である・判明している…」という状態を示していると思うんですけど、分からないというイメージとしては濁っている感じのことが、迷いのない透き通ったイメージの好きと組み合わさっており、結局どっちなの?好きなの?嫌いなの?この文は合ってるの?合ってないの?みたいな疑問がずっとありました。
違うんだと、混ざっていないんだなと。分からないという濁りをそのままパッケージしてそこで区切り、その上でパッケージごと好きなんだなと。そういうことかと、何となく腑に落ちました。つまり、好きという宣言が有限主義の宣誓そのものなのだと、そういうことです。その方がいつまでも分からないとして、延々のたうち回る可能無限や実無限の立場よりも賢明なのかもしれませんね。
それでお前はどうなんだという話なんですけど、お会いした方はご存知の通り、分かりやすいものが大好きです。今日の、ケミカルな黄色の花瓶は結構気に入っています。
20.12.06
昨日の夜に知って、急遽本日の開店前に覗いてきました。吹上の骨董市です。コロナでやってないのかなと、5月も9月も気にしていませんでしたが、どうあれ12月はやってました。
出店も半分くらいで、めちゃくちゃ空いていましたね。今年一番、コロナの影響を感じたかもです。もうアレですね、骨董古物もネットオークションの時代ですね。
とりあえず何か買わないとと思いまして、どの花の美しさも搔き消しそうな花瓶を買ってみました。特に黄色がケミカルな黄色で良かったです。あと、初めて公式の買い物袋を頂きましたが、これのニセモノ感が私には刺さりました。