昨日、愛知県も休んでね的なアナウンスが出ましたね。相変わらず、私の見逃しかもしれませんが、眼鏡店が要請の対象なのか対象外なのか、カテゴリーに分けられていなくて、根本から忘れ去られようとしているのか、そっちに危機感を覚えました。東京のときに、理容店の振り分け問題はニュースになったのに…。
半医半商ですから、そもそもの存在が曖昧ですからね。自分で決めろって話なんだなということで、とりあえず何かが給付されようがされまいが休業中です。なんとなく、昨日のあれこれを鑑みて、5月6日まで休もうかなという心づもりです。
休業しようと思った理由は沢山あるんですけど、もちろん怖いなぁとか医療に迷惑かけちゃかんなとかあります。人口に対しての罹患数や、小売規模から休まなくてもいいかなぁとも考えました。ただ、さすがの天邪鬼代表のブルバキとしては、ややズレた理由ですけど百貨店等々の大手が一斉に閉じたからが大きな理由ですね。
愛知県が独自の緊急事態宣言を出したときに、何かしらモニョモニョして、大きいところは営業を短縮して続けると思っていました。そんな素人予想は外れて、大きいところほど直ぐに休業に入った気がします。そのときに、勝ち負けでは無いんでしょうけど、でも負けたなと思ってしまいました。
僕みたいな個人店がやりがちなのは、大手を槍玉にあげて、今様にザックリ表現すればそれらをエシカルじゃないとし、エシカルな私どもから買ってくれた貴方も今日からエシカルな存在ですねと味方につける方法です。資本主義的では無いと言う方が伝わり易いかもしれません。多分ブルバキも、少しもその要素が無いと言うと嘘だと思います。そういう観念を取り除く、純粋経験だ何だかんだとその観念を減らす努力はしているとブログでちょくちょく言いつつも、提供するこちらも、受け取ってくださる皆さんも、ちょっとはその気があるはずです。完全に消去するということは覚りであって、そんなことはちょっとやそっとでは訪れないでしょうからね。
それで話を戻して、蓋を開けてみたらどうだったか。そりゃ考えたら当然なんですけど、大きいところもエシカルでした。むしろ、それぞれに様々な状況、金銭的なものを含めてあるんでしょうけど、大きいところの方が、一番明瞭な休んだ休んで無いのそれだけを判断の材料にした場合は、よりエシカルでした。それに参りましたという気持ちになりまして、参ったんだから、恥ずかしくても素直に後追いして真似をしようと思い、休業を決めました。ちょうど、ほとんどの加工とお渡しが済んだのもありますけどね。
『世界の哲学者に人生相談』という面白い番組に最近気づきまして、この前が九鬼周造の回でした。まさに、いまは意気地が試されているんだなと、ここで書いてしまったらやせ我慢でも何でも無くなってしまうんですけど、もうこうなったら積極的に休んでやろうという所存です。
(営業再開まで、あと(未定)日)