カテゴリー:雑記

ようやく平静を取り戻しました
雑記

18.08.27

6月末くらいから休んでばっかりでしたが、来月は平常運転出来そうです。ご迷惑をお掛けしました。

 

今月号が面白そうなので買ってみました。久々のニュートンです。ちょっと前は、コンビニでも見かけましたが現在はどうでしょうね。今回は本屋で買いました。

相変わらず面白いです。特集の「死とは何か」も良いですが、個人的なお目当は「空間は幻かもしれない 〜注目浴びる「ホログラフィー原理」とは?」でした。70ページより抜粋しますと、

「異なる次元をもつ二つの世界でおきた別々の現象が、“同じ”(等価)だとみなせる、という原理です…」

が、ホログラフィー原理の要約です。特に、ホログラムの性質との類似性から命名されており、「次元の低いものから、次元の高いものを再現する」ことが念頭に置かれています。

次元が高い低い、低いと良くなさそうなイメージですが、実際は“決め事の数”くらいなイメージですから、多くても少なくてもそれぞれに良さそうな気がします。決めごとが多い中で成り立っていれば、他者に影響されにくく、自分を律することが出来そうです。決めごとが少なくて成り立っていれば、自由度が高く可塑性があって良さそうです。

他人から見たらどうかは置いておきまして、私の感覚としては、派手なものが好きという感覚も、シンプルな物が好きという感覚もほとんど無いです。あんなメガネ掛けていてよく言うわ、といった感じでしょうが、シンプルだから良い派手だから悪いで判断していないのは確かです。

そんなことを頭の中で転がしていた時に、ホログラフィー原理に出会ったわけです。シンプルと派手は等価かもしれず、だからこそ同じような感情を惹き起こさせるのかもしれません。諸処の条件を無視して無理にでもそう考えてみますと、ある程度の明瞭さは得られます。

先日もお客さんと、シンプルだから無属性で何にでも合うのでは無くて、シンプルだからこそ何にも合わない物があるということを話していました。通常、この手の話は、派手な物に対してなされる事が多いですが、確かにシンプルなものにも当てはまる気がしています。シンプルなのに無難では無いという事象も、きっと何処かにあるのでしょう。

待ちに待った
雑記

18.08.21

2週間くらい待ちましたが、本日届きました。ハローモンテスキュー。ロゴかっこいいですね。羨ましいです。

夏の終わりが垣間見えますと、フジファブリックの若者のすべてを流してみたり、やはり私も人並みにしんみりしてみようと努めます。今年は、ハローモンテスキューのウララをリピートしそうです。

自分の学生時代を思い返してみますと、青春も無かったですし思春期も無かったです。制服を着崩すことも無く、従順でガリ勉な日々しか思い出せません。毎日、どれだけ遅くても19時には家に居ましたから、ウララの歌詞にも出てくる「夜を越える」とかは未経験でした。もやもやが溜まって「夏のせいにする」ことも無く、どの季節も淡々とこなしていた気がします。生活を出来るだけ機械的にする、同じ時間に同じことをする癖は、この18歳までの生活に起因していると思われます。

昨今は、そのようなおよそ共感とは遠いモノほど惹かれます。そうでありえたかもしれないとか、もっと距離があって自分にはあり得なかった人生のようなもの、その表現に、気づくと思いを馳せています。簡単に言えば妄想です。

おそらく二年半前、ブルバキを始めたタイミングではそうでは無かったと思います。一年前の名古屋で店を構えたタイミングでもそうでしょう。サラリーマンを続けていたら…とか、後悔じみた悶々が、少しありました。いまは殆ど感じていません。現在のこの心の平静は、特に店を構えた一年で皆さまから頂きました。ありがとうございます。ようやくブルバキだけの、型みたいなものが、ぼんやり見えてきています。

来月で開店一年です。特に何もしませんし、注文が溢れていない限り機械的に店を開けていきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。CDが届いたことと、お客さんからの手紙がありましたので、何となく綴ってみました。

試聴
雑記

18.08.13

栄のソニーストアにて、ハイレゾの試聴機を試しました。記憶が曖昧ですが、本体で30万くらいでしたから、携帯音楽プレイヤーの最高峰であることは間違い無さそうです。イヤホンを買ってみてから、何だかんだその周辺に興味は出てきています。なので、まずはトップとは何ぞやを体感してきました。有難いです。

驚きました。音に広がりがあって、それを手掛かりに空間を感じるというよりは、空間が用意されていて、その中で方向を持った音を聴く、つまりは生で聴いている感覚に非常に近いと感じました。目を閉じて、脳の情報処理を耳にシフトすると、一層自分が何かしらの場に置かれいる感覚が強くなりました。

ここまできますと、正しい音とは何でしょうね。このハイレゾの音なのか、生の音なのか、レコーディングのときの演奏者が共有していた音なのか、、、。少なくとも視覚と同様に、何か一点で捉えたり評価出来たりするものでは無いということは、ぼんやり立ち込めてきまして、音の良さも一次元で順序付けられないないと感じました。検眼で視覚に対してアプローチすることと、音質をアレコレ究めていくことは同値ですね。おもに金銭的なゆとりがあれば、実践してみたいゾーンです。

 

 

同業
雑記

18.08.07

先日、同業者の検眼をする機会を得ました。それなりに緊張します。

基本は、ほかのお客さんと同様に、いつも通りの検眼です。米国式21項目検査と、その他予備テストを行う感じです。書籍に書いてある通りを行うだけですから、特別なことはしていません。なので、秘伝はありませんから、あれこれ聞かれたら大体はお話します。それも、本読んだら書いてあることばかりですから、期待を裏切るようで申し訳ないなとは思います。業界の蓄積を、そのまま活用させて貰っているだけです。

贅沢
雑記

18.07.24

先週まで治まっていた、手のブツブツが復活してしまいました。8月入っても、隙あらば19時くらいに閉める可能性があります。ご容赦下さい。

イヤホンが断線してしまい、買い替えました。前は、ソニーの5,000円くらいのでした。低音のズンドコ感が激しくて好きでしたが、断線してしまいました。せっかくならと、今回は6年ぶり位に1万越えをしてみました。手のブツブツが出てきたので、ヒーリングの為と言い訳しながらです。電車での癒しを求めています。

まずは、大きい家電屋の変化具合に驚きました。昨今のイヤホンというカテゴリーは、イヤホン専門店が出来る位の地位を築いたことは存じていましたが、名駅の家電店でも、ありとあらゆるイヤホンが置いてありますね。しかも、気にしない穏やかな心があれば、試聴機が使い放題です。私が大学入学したての頃は、試聴機という文化は知る限り無かったです。出来たばっかりのアップルストアで、値段を信じてアルティメット何ちゃらを勢いで買った記憶があります。

 

当たり前なんでしょうが、専門化すればするほど面倒くさいですね。ネットで調べるのがめんどくさく、いきなり店頭に赴いたものの、あれだけのメーカーと、種類と価格帯を一挙に見てしまうと、とりあえず諦めたくなります。数値化し難いものは、比較もし難く時間もかかります。なので今回は、6年前の記憶からシュアーにメーカーを絞り、その中でパパッと探すことにしました。広大なイヤホンコーナーを見た瞬間にそのように決めて、選別を開始しました。

試聴機を使い、初めてわかった私の残念な結果としては、1万円から先は、違いが分からなかったということです。1万刻みで4万円の物まで4つ試しましたが、より正確に記述するのであれば、何となくの違いがわかっても、1万円から先は、その違いで感動したり、良いと唸ったり出来なかったです。スタートの1万円の物で、遮音性と臨場感で良いなと感じ、そっから先は?の連発でした。もちろん、違いのわかる男でありたかったです。そして、あの時勢いで買ったアップルストアのアルティメット何ちゃらで初めて音楽を聴いた感動は、違いの分からない男のプラシーボ効果だったかもしれないと考えますと、切なかったです。

ただ、自分の商売に当てはめますと、必ずしも高ければ良いということでも無いです。諸処の要素が重なってあの値段ですし、一般の相場がどうあれ、入手ルートのお陰で低めに出来るのであれば、そのようにしているつもりです。

今、この瞬間感に、あらゆる年代のあらゆるデザインが並列しているという事と、それをどれくらいフラットに見られるのか?ということが面白いと考えています。メガネだけでは無くて、むしろメガネは新参者ですが、ヴィンテージの世界は古ければ古いほど価値があるとされています。残存数等々の希少性からすれば、確かにそうでしょう。ですが、過去の人が出来なくて現在の人が出来る、全部を並列させて見る贅沢が存在します。店としましては、それを重視したいと考えています。

自分の耳は違いが分からないのでは無くて、あの音が好きな耳であり、そういう個性だと庇う為に、自分の商売を持ち出してみました。

ちなみに、購入したのはシュアーのSE215です。この機種だけボディがスケルトンの青でした。見た目の時点で決まっていたのは確かです。その投影があって、他の3機種は価格的にも否定的な潜在意識があったのかもしれないと、いまは反省しています。小学生のときに所持していたゲームボーイはスケルトンで、マックがスケルトンのパソコンを出して革命を起こしたのを、憧れながら見ていた世代です。

明日も明後日も休みです
雑記

18.07.18

今日も、講習受けてきました。明日も明後日も続きます。

理論等々、学べば学ぶほど、増える知識と、増える検眼内容・時間と、増える新たな疑問と、、、ますます検眼時の拘束時間が増えそうです。本日は、テクニック等々の話ではなく、目の発達プロセスの話を聞いてきましたが、そこまで情緒を働かせると、確実にメガネを作るということが、1日や一回で終わる作業では無くなりそうです。それらを合理化してマニュアル化し、簡素化していくと、現代の状況に近づいてしまいますから、それは避けたいところです。そうしますと、善い検眼の追求の為には、やはり時間がかかる、一回では終わらないかもしれないということを、肯定する必要があります。それは、ますます社会の流れには添いませんから、細く長く同じペースでやり続ければそれで良いと始めたこのブルバキも、検眼の追求の為に資本主義に逆らって成立し続けるという、なんだか仰々しいものを掲げるようになっちゃいそうですね。どうなんでしょうね。

忘れたころに
雑記

18.07.13

『日本の民藝 (1960年)  柳宗悦著 宝文館』

欲しいものリストに入れたのが2016年でしたから、2年くらい放置していました。本当は放置と言いますか、周辺の古本屋で見つけるぞと意気込んだものの、ついに出会わず、最短ルートを使用してネットで買うのも何だかんだ億劫で2年の月日が流れていました。民藝の本を民藝とは対極のネットで買うってどうよ?という要らない自問自答が発動した為です。

リストに加えたことは忘れていました。普段は使わない機能なので、何故これが加わっていたのか判然としません。キッカケは今週の頭に、民藝周辺の話をお客さんとしたことです。そして、次の日くらいに、いつもは見ないアマゾンの欲しいものリストを覗いたところ、何故かコレが2年前に入れられており、ビビッと感じて買ってみた次第です。すぐに運命にしたがるタイプの人間だと思います。

本の先頭をパラパラとめくっただけですが、とりあえずの感想は、とても柔らかいですね。ちょっと前に、『私の念願(1942年)』のことを書いた気がします。それから18年経っているからか、柔和です。いまは貸し出しをしていて手元に無く、確認が出来ませんが、『念願』の方では機械化を排斥したい感じを受けた記憶があります。

機械化を突き進めること自体は、人間の努力ですしね。いざ強く出ようとすると、何だかんだそこまで冷徹に出来ないですよね。民藝に限らず、様々なことが等しく当てはまる気がします。

作業の合間に、ぼちぼち読んでみます。店頭に閲覧用で置いておきます。

増減なし
雑記

18.07.11

銀の丸メガネを販売したときに頂きました。交換ではありませんから、料金+メガネを頂いています。ブルバキももうすぐ一年ですが、ようやく、わらしべ長者感が出てきました。もちろんコレは販売しませんけど。

デザインと、ホワイトゴールドの金張りという点から、20年代かなとも考えられます。ただ、地金のしなやかさとネジのしっかり具合が、大戦後かなとも思います。なんとも言えないところですが、割としっかりと形を保持していますから、使おうと思えば使えるはずです。プレスの模様は、見たことがないパターンでした。ブリッジのアーチの高さ、ブリッジの取付け足の桁の短さからすると、日本人向けでは無さそうです。かけると、どうしてもまつ毛が当たるタイプです。

こういうものを見ますと、リムの全周を彫るのも良さそうだなと改めて感じます。煌びやかに仰々しくはなりそうです。

仰々しいと感じている時点で、自己の存在なのか、現代のファッション観なのか、何かと比較している気配がしますから、そういった要素を出来るだけ排除して、仰々しい等々の、止める方向に向かわせる感情を消去し、物と自分という2者だけの関係に持ち込みたい気はします。そうでもしないと、不変性に辿り着かなさそうですからね。

まずは、自分のフレームで彫るか、在庫で新たに持つか悩みます。どちらにしても、まだ、その余裕は無いですね。年末までには見てもらえる機会を作りたいところです。

デザインの本
雑記

18.07.10

頂き物。1956年のデザイン関連の雑誌です。この時代、デザインの本はどんな人々がページをめくっていたのか、それを考えるだけでも面白いです。

特に面白かったのは、「日本的機能の原型をみる 〜生活の歴史から〜」という項の、豆腐の分析です。

私も、未だ嘗て豆腐を離れて豆腐を考えたことは無いですね…。独白のような書き出しから既に面白いです。

用の美に対して、このように考えたことはありませんでした。これも勉強になりました。用と言われますと、所有者である私にとって有用かそうでないか、そんな風に思っていました。ここに書かれているのは、もっと広義でして、一つの生命が他の生命に奉仕するかしないかという分け方です。メガネにも、メガネ以外にも当てはまる内容で、うんうんと唸りました。

ほとんどわからなかった
雑記

18.07.03

読み終えるのに半年くらいかかってしまったかもしれません。昨今の集中力の低下と、反比例して増大している眠気も相まって、全然読み進めれなかったです。

また、考えるヒントの1と違い、ほぼ本居宣長や荻生徂徠といった国学について書かれています。それらに触れたことが無いので、共感できないのも無理は無いと自分を庇いつつ、何となく字だけを追いました。

ただし、最終章の「常識について」は、面白かったです。デカルトは、高校か大学の時にカッコつけて『方法叙説』を岩波の青で買って、カッコつけて読んだ(字を追った)程度で、孔子に関しては倫理で習った程度の知識しかありませんでした。ほぼ予備知識0の状態で読みました。

おそらく、私の読解が正しければ、それらの人たちの思想に分け入っていくと、共通して

「出来上がった知を貰う事が、学ぶことではなし、出来上がった知を与える事が教えることでもなかろう」

「人間に出来る事は、天与の知恵を働かせて、生活の為に、実在に正しく問う事だ。実在を解決する事ではない。正しい質問の形でしか、人間にふさわしい解答は得られはしない。」

というようなことが分かると、そんなようなことが書いてあった気がします。

私自身も、どちらかと言えばうんちくおじさんの部類に入ります。知識のコレクションとその披露は知的では無いと反省し、知識があれば、それを元に次の発展的な質問が生まれますから、その行為の連鎖に集中しようと、思い至りました。

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