久しぶりに、あれこれ忙しかったです。GWの余波です。もう落ち着きました。
知識があることと、目が肥えることについてです。
60過ぎの男性と話したときのことです。ちなみにお客さんでは無いです。久しぶりにスーツを新調したそうです。珍しく奥さんの気前が良かったので、結構高めの価格帯の物を購入したとのこと。青山のちょっと良いやつらしいです。
ふむふむと、話を聞いていますと、
「久しぶりに良いもん買うと、あれだな。良い服ってのは、着る前から良さが分かるんだな。」
みたいなことを仰っていました。ここでの“着る前”というのは、パッと見の高級感よりも、袖をいざ通そうとした瞬間のことを指し、それを力説しておりました。袖を通す瞬間とか、身体への馴染み方だと思います。
自分の体験から、そう言った話が出来るのは良いなと思いました。実感と、それに対する共感が、会話としての豊かさに大きく寄与していると改めて感じました。
そこで、ちょっと野暮ですが、
「ちなみに、どこのですか?」
と聞いたところ、イタリアの生地のカタカナのやつとのことでしたので、ブランドとかでは無く、ある程度ニュートラルな状態で、自身の実感から良いなと感じ、私に話して下さったようです。もしかしたら世代的には、イタリアなら良いと、自動的に、判断にプラスに作用した可能性も無くはないでしょうね。しかしそれよりも、着る前の良さを力説しておられました。
そう言えばその方は、私が普段着用している銀無垢のメガネに、いち早く気付かれました。さすがメガネ屋は、ちゃんと高価そうなメガネだなと突っ込まれました。正直、どのメガネ屋に行っても突っ込まれないので、驚きました。その男性は、服やメガネがめちゃくちゃ好きで年を重ねて行ったわけでは無いです。
自分の届く範囲で本物に触れるとか、自分の実感で判断するとか、大事なことだなと思いました。それでしか、目が肥えていかないのかなと。目が肥えるという表現は古いですね。
目が肥えることと、知識が増えることは、あんまり相関していないなと感じたという、それだけの話でした。