お客さんからの頂き物。
「ある」(観察と編集 発行)
バックナンバーを4部くらい頂きました。東京で整体をされている方と、編集者との対談です。今年の3月で、3年間に及ぶ対談が終わり、全て製本されて販売されるそうなので、それを買ってみようかなと思いました。
一つひとつのテーマに沿った対談の内容も面白かったのですが、共通して面白かったのは、身体感覚から感情が引き起こされうるというようなニュアンスが感じられたことです。
検眼も、同じようなことが考えられます。ただ、視力が出るだけ、遠くの切れ目が判別出来るようにするだけでは無い、巷のとは違う検眼についてです。
過矯正の内斜位の場合などは、常に自律神経が働きっぱなしであり、無意識に緊張状態が続いたまま生活をしていることになります。
視力重視では無くて、眼位や両眼のバランスを重視した処方により、集中力が増したり過敏さが減少したりする可能性もあるのでは無いか?というのが、私の検眼での考えです。
ある程度の視力が出れば、そっから先の視力と認知との相関関係は強く無い、という報告を人づてに聞いたことがあります。元の論文にたどり着けていませんので、何とも言えませんが。
実際に仮枠で試すときも、完全矯正(ないし若干の過矯正)よりも、度数を緩めて眼位にあったプリズムの処方により、より一層見える実感があるという声をいただいております。この場合、ランドルト環での視力チェックでは、片目で0.7出ていないことは多々です。旧度数より落としても見えるという場合もあります。
見えるということ、それに対してどのようなレンズを処方していくか。そしてその処方は、見えやすくするだけでは無い効果を、良くも悪くももたらす可能性がありますので、メガネ屋としてはやはり一番気合が入ります。そして、物凄く大げさに表現すれば、その人を変える可能性があるということになります。非常にやり甲斐がありますね。
「見える」という言葉が、注目が向けられたらハッキリ見えるとかそういうニュアンスでは無くて、ぼんやりでも脳で認識されているという感じですね。