今年は、守破離でとりあえず警報出たら休んでみて、来年からどうしようかなと、次の年から自己判断のオリジナルを加えていこうと思っています。
てっきり、今年は甲子園はやらないものだと思いこんでいました。なので休み期間中、テレビをつけたときに目に飛び込んだ、甲子園ぽい甲子園では無い何かに拠って生じた動揺、つまりブルバキは休みすぎか?という迷いも実際はありましたが、なんとか無事に休みきりました。
ところで、野球でも何でも、コンビニスイーツでも良いんですけど、順序ってつけたくなりますよね。ならないですか?どうです?
この順序という考えは、「どういうときに順序がつけられるか」みたいなことを考えると面白いです。つまり、いつでも順序がつけられると思ったら、そうでも無いです。
例えば身近なところで、グーチョキパーは三つ巴で順序がつかないです。だからこそジャンケンが成立すると言われたらそれまでですが、わたしは感動した記憶があります。順序がつかないのも悪く無いなと。
それで順序がつけられる場合、それぞれを比較することが出来るようになります。これが、どの2つでも出来るようになると、全部をピンキリで一列に並べることが出来ます。詳しく立ち入りませんが、気になれば半順序・全順序で調べてみてください。とにかく順序は、なかなかつかないということです。順序がパッとつく構造とかカテゴリーとかは多くは無いです。なかなか順序がつかないからこそ、世の順序にはエイヤっという部分が大体あります。テレビのコンビニスイーツのランキングで言えば、「店員さんが選んだ」とかです。そして順序がパッと付きづらいのであれば比較も、そうは出来ないことに思い至ります。例えばヴィンテージの世界では、年代がそうです。古ければ古いほど強いというエイヤっがありまして、それを基に比較をしている場合が多々です。
8月の休業に入る前に、なぜか、創業から今までの流れをお話しする機会が多々ありました。とは言いましても、ブルバキもまだ通算で4年半ほどですから大したことも無いですが。
創業のときは、壮大な勘違いからスタートしました。そのときのブログも残してありますから、なんとなくニュアンスが判っていただけると思います。簡単に言えば、自分の尺度で順序をつけて、自分が一番正しい、世のメガネを正していくぜっ!みたいな、青臭さです。そういう精神じゃないと、一から立ち起こす気概が湧いてこないのは間違いないですが、いまとなっては恥ずかしいですね。
感覚的に、おそらく、順序がつかないことの方が多いですよね。世間は。営業する中でそれは本当に痛感しました。そして、順序がつかないということは、ずっと整理がつかずにフワフワしているということです。どうしても人間、どっちかに決着をつけたい、つまりはスッキリしたいわけですが、世間はそれをさせてくれないです。大体、(自分の尺度では)みたいな但し書きが、成立する為の条件としてくっ付いてきてしまいます。
そうしますと、困ったことに自分や自分の店やらが尖っていない、何かしらに特化していない感覚に陥りまして、何となく行き詰まった気分になります。実際なりました。むしろいまも残っています。そうかと言って、単純に戻る、何かをダシにして突いてみることも何だかなぁと気付いてしまった以上、出来ないわけです。
それで、始めの写真の本に戻ります。今回の休業中に何とか読みきりました。10年ほど前に買って、殆ど理解できず終わった記憶があります。このシリーズにしては珍しく?全然入門になってない気がします。
この本に出てくる「いわゆる独我論」を創業のときの自分に、「いわゆる実在論」を世間に豊かさがあるなぁと思い始めた自分に重ねると、ぼちぼち理解しながら読めたかなと感じました。もちろん、心の整理の手段までは教えてくれない、そんなものは自分で編み出すしか無いのですが、相当手がかりになった気がします。
休業中に唯一読んだ本は確かこれです。人にアレコレお話ししながら、自分も店のことはまだまだ迷走中ですから、ヒントになればと時間のあるうちに読んでみました。ということで、何か始める方にはオススメです。
明日から再開します。